私と「私自身」の話

adhd 妻 私自身 ADHD嫁のコラム

adhd妻のmaico(マイコ)です。私は、茨城県に産まれ、毒母に育てられ、虐待されながら育ったadhdの女です。(adhdとハッキリわかったのは28歳の時ですが)今回はそんな「私自身」の話をします。

私と「私自身」の話

私の親は両親ともに毒親です。

 

幼少期は保育園、幼稚園に継続して通わせてもらえず、親の都合で関東を転々と引っ越ししていました。

度重なる引っ越しのせいで、ストレスが溜まり、夜眠れなくなった時は「大人用の睡眠薬」を飲まされることもありました。

 

祖母宅に預けられてから、本当に精神が落ち着きました。

その後も、母親はその当時の父親と離婚し、新しい父親と結婚しました。

 

祖母宅でようやく精神的な落ち着きを取り戻すことができたのに、この父親のせいで、また関東各地を引っ越しする日々が始まってしまいました。

 

この新しい父親は、以前の父親に勝るとも劣らないくらいの毒親でした。

新しい家は、90年代後半なのに汲み取り式のぼっとん便所、見るもみすぼらしいボロボロの平家でした。

 

家の中は荒れ果て、朝ご飯も食べさせてもらえない。

小学生になっても、家庭環境は荒れに荒れていました。

 

家事をロクにしない母親のせいで、洗濯もちゃんと洗ってもらえないので、臭かったり生乾きだったりして、クラスメイトからイジメられていました。

晩年、いじめられっ子だった私

小学校でもいじめられていましたが、中学校に進んでもやはりいじめに遭っていました。

 

思春期になると、心が良くも悪くも成長して余計なことを考えるようになりますよね。

 

その当時の毎日は、私にとって本当に地獄でした。

毎日が本当に辛すぎて、自〇未遂を2回しました。

 

その後は、なんとか生き続け、私立高校に合格します。

高校生になってからも続く地獄

高校生になってから、母親はまた別の男と結婚します。

 

その男から定期的に性的虐待を受けます。

 

父親から性的虐待を受けていたことを母親も知っていたはずなのに、助けてくれるどころか逆に言葉汚く責められる私…。

 

その後、この男とも母親は離婚します。

 

離婚してからは、毒母と妹の三人で暮らす生活が始まります。

母親は、家に男を連れ込むようになり、いつのまにかその男と一緒に暮らすようになります。

 

高校生になり、バイトもするようになりますが、稼いだバイト代は、

家計が苦しいから、負担して!

と毒母に取られていました。

 

ここまで、面白いくらいに毒親に一度も反抗せず生きてきたんですよね。

 

本当に上手に私は、この毒親たちの洗脳にハマってしまっていたんだと思います。

高校卒業後に少し自由になるも…

高校卒業後は、地元のクリニックに就職が決まりました。

 

ただ新しい就職先でもイジメはありました。

それでも我慢してなんとか8年続けます。

 

職場でのストレス、自宅でのストレスは「異性関係」で発散するようになります。

欲しいと思った物も買わないと気が済まないようになってしまいます。

 

今まで親からも周りからも愛されてこなかった「寂しさ」をたくさんの異性と付き合うことで埋めてきました。

ですが、付き合う異性のほとんどが、マザコン、モラハラ、ドケチ彼氏―と変な人ばかりでした。

 

付き合っては別れ、付き合っては別れ。

 

ある時、友人の紹介で同い年の彼氏と付き合うようになります。

最後の最後も「ダメ彼氏」と付き合う

友人紹介の彼氏と付き合い始めた時の私は、ブラックなクリニック勤務で、キツいお局上司とキツい躁鬱の先輩の挟み撃ちを受けていました。

 

この劣悪な職場環境から逃げたくて、一生懸命働いて、60万円貯金を作ります。

 

このお金で地元から離れ、埼玉県に移り住みます。

彼氏もこの時に一緒に同棲する予定でしたが、この彼氏、「計画性」が全くと言っていいほど欠落した彼氏だったので、同棲はドンドン先延ばしになりました。

 

彼氏が「一緒に住むから」とそれ相応の物件を探したので、家賃もそれなりの物件だったので、家賃から光熱費が私にとって重たい枷になっていきました。

 

いよいよお金が無くなってきた時に、ネットでお小遣い稼ぎを始めました。

いわゆるパ「パパ活」というものです。

とはいえ、田舎から出てきた小娘がそんな都合よく稼げるはずもなく、7万円の詐欺に遭い、このお小遣い稼ぎもやめてしまいます。

 

不幸は重なるもので、大好きだった祖母がこの頃に亡くなります。

度重なる「不幸の連鎖」に…。

祖母の葬儀費用などの工面に必死な母。

 

そんな母にその時たまたま持っていた失業保険の再就職手当、32万円を全額渡しました。

そこから程なくして 私自身の子宮がん検診の結果が思わしくなくなり、精密検査した所、「子宮上皮内がん」だと判明します。

 

その時に働いていたクリニックは丁度繁忙期で、先生や周りのスタッフから文句を言われながら、「子宮上皮内がん」の手術の予定を決めました。

一泊二日の入院でしたが、彼女の私が不安でしょうがない中で、彼氏は仕事で休みをとってくれず、お見舞いにも来てくれませんでした。

 

病気のストレスと彼氏のストレスが相まって、鬱状態になります。

 

病院を退院してからも、2週間しか休みがもらえず、出血しながら仕事をしました。

 

過去の出来事も辛かったですが、この頃が人生で一番つらかった時なんじゃないかなって思います。

捨てる神あれば、拾う神アリ

毎日が本当にツラかったこの頃。

 

この頃に今の旦那に巡り合います。

旦那と知り合ったのも「出会い系」のしかも、無料の掲示板で、旦那自身の姿格好も滅茶苦茶チャラくて胡散臭かったのですが、過去の彼氏たちの中で一番まともな思考の持ち主でした。

付き合って当時の彼氏とも別れ、今の旦那と付き合って約一年、ほどなくして結婚をしました。

 

他の記事でも書いていますが、結婚してからの一年は2度、3度と離婚しかけました。

2年目からは、二人とも落ち着いて、今では楽しく過ごせています。

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