私と毒親のこと

adhd 妻 毒親 ADHD嫁のコラム

adhd妻こと、maico(マイコ)です。私の親は毒親でした。旦那と結婚した後に自分の両親が改めて毒親だったことを強く認識してしまいました。多分私と同じくadhdの方って幼少期に両親や周りの友達から何らかのトラウマを抱えていると思います。

実の両親は私が3歳の時に離婚した

私の両親は、私が3歳の時に離婚しています。

 

私は母方に引き取られました。

 

おかしな日本語ですが、この時の私の母は「母の顔」よりも「女の顔」を強く持っていたのでしょう。

離婚してからすぐに新しい相手を見つけていました。

 

この新しく父親になる男がまたとんでもない男だったのです。

私が「眠らないから」と睡眠薬を飲ます毒親

新しい父親と暮らすようになり、幼い私が鼻血を出した時には、母親、父親共に私の体を心配するわけでもなくゲラゲラと笑っていました。

また私があまりに夜眠らないと、母親が持っていた睡眠薬を飲まされました。

 

幼い子供に睡眠薬を飲ませる両親…。

 

文字に起こすと改めて、頭のおかしい両親だとゾッとします。

新しい父親と夜逃げのように引越しをしていた日々

子供にとって、新しい土地を転々とするのは辛いことだと思いませんか。

幼い頃の引っ越しは、慣れ親しんだ土地も学校も友達も、何もかも失ってしまいます。

大人なら割り切れて問題ないんでしょうが、小さい子供にとっての引っ越しというのは相当なストレスになってしまいます。

 

両親の都合による引っ越しに次ぐ引っ越しで、心身ともに疲れ切っていた幼い頃の私。

その頃の引っ越し先は学区の範囲がギリギリで家から3キロも離れている小学校へ通っていました。

 

その当時の私は小学1年生です。

 

今でも鮮明に覚えているのですが、小学1年生の体力で、田舎の暑い夏山を毎日越えるのは本当に辛かったです。

新しく通うようになったこの小学校では、私の唇の色が異様に赤かったため、クラスメートから、

「maicoちゃんは学校に口紅を付けてきてる!」

と言われたり、クラスの皆はお小遣いを親から貰っていたのに私は貰えず、近所の駄菓子屋に友達と行っても何も買えずにいじめられたり、そのいじめが発展して学校のプールの時間に必ず私の
黄色いプールキャップが隠されて見つからなかったりしていました

 

学校で何があっても、私が悪くなくても、この事を両親に言えば、

「お前がダメだからいじめられるんだ!」

「お前がいけないんだ!」

と両親に慰められるどころか卑下されて、両親のいう事を聞かなければ家の柱に縛られ「トイレに行きたい」と言っても行かせてもらえず、漏らせばまた怒鳴りつけられていました。

 

現代の言葉で言えば、

精神的肉体的な虐待

を私はこの両親から常に受けていました。

そんな両親だから学校のイベントにも…

そんな両親なので学校のイベントである、授業参観や運動会にもロクに来てもらえず、運動会では一人でお弁当を食べるのが寂しくて本当に辛かったです

 

小学校に上がると、一日の時間の半分以上が学校に取られますよね。

社会の縮図と言われる学校で、他の子供と少しでも違う所があれば、容易にいじめの対象に
対象になってしまいます。

 

私は両親のせいですっかり「引っ込み事案の子供」になってしまいました。

 

今回お話した毒親の話はまだまだほんの一部です。

 

私と同じadhdの人に読んでいただき、読んだ人の心の支えに少しでもなれば幸いです。

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